PLANET GOOS[2]
~ミルクティと白猫.2~

「――ね、誘ったのは君だって分かってる?」
「…はい…」
「答えてくれるね?ここに来た訳を…」
ラルゴに組み敷かれたまま、ゴーシュは顔を逸らす。潤んだ瞳を隠すよう伏せ眼がちに、テーブルに放置されたティーカップを見つめた。
「先生の…、ブレスレットが欲しくて…」
ゴーシュの喘ぎながらの囁きに、ラルゴは興味を示した。
「ブレスレット…?」
「今回の研修期間は長くて、先生が足りなくなってしまって…。もし、あのブレスレットがぼくの手首にあったら…、集中できたかもしれないって…、そんなことばかり考えてました…。――軽蔑しますか、先生…」
自身の言葉の重みに耐えられず、ゴーシュの瞳はたちまち潤み出す。
「どうしたんだ?君らしくないな…」
今にも泣き出しそうな少年の髪を梳き、腕の中に抱え込む。
「…試験の結果が悪かったのか…?」
「……」
ゴーシュは肩をすくめ、悔しげに口を結び頷いた。
「…そうか…」

将来を約束されたエリートの少年とはいえ、恋には脆い。
ラルゴ・ロイドがゴーシュ・スエードに声を掛けられたのは、二年前に遡る。
全校集会であらゆる分野の歴代記録保持者の教師として、改めて紹介されてからだ。
入学早々、記録を塗り替えたゴーシュであったが、苦手な科目もある。決してすべてにおいて好成績というわけではなかった。
だが、学園OBのラルゴ・ロイドは違った。六年間の好成績、首席で卒業した実績もある。
ゴーシュは首席卒業者、ラルゴ・ロイドを意識し始め、隙あらば教えを請うよう接触を図った。
瞳は常に担任教師を逃がすまいと追い、執拗に見つめ、心にラルゴを留めてしまったと気づいたときにはすでに遅く、少年の憧れはいつしかに恋に変貌を遂げていた。
ゴーシュが彼に惹かれた理由はもう一つある。
彼は在籍中、この学園のシステムを唯一守らなかった人物でもあった。ブレスレットは上級生に渡されても受け取らず、下級生にも譲らなかった。
六年間を孤高で過ごし未だ誰にも渡されず、保管されたラルゴ・ロイドのブレスレットをゴーシュは欲した。
何度も要求され、気持ちを汲んでいながらも、ラルゴはいい返事を未だにしていない。憧れが微かな恋に変わり、卒業とともに泡となり消えると悟っていたから。
ゴーシュが求めても、子供相手の揶揄はするがキス以上は応えなかった。それがゴーシュを渇望させ、繋ぎ止めていた術。
だが、その手段も今日を境に終わる。
ラルゴも自分にだけ弱さを曝け出す、少年をたまらなく愛おしく想っているのは確かだ。箍を外し、ゴーシュに烙印を押せたら幸せだろうとも思う。
予想以上に別れが早くなった今、ラルゴは言葉でゴーシュを突き離す。紡いだ糸がゆるやかにほどけ、風に舞い、断ち切れた糸の存在さえ気づかぬ間に、息を潜め彼の前から消えることを望んでいた。

「あれはぼくの戦利品みたいなもの、学生時代のささやかな反抗っていうのかな。きみには意味のないものだよ。気持ちが分からないでもないが、――早く自分のブレスを渡す特定の人物を見つけるんだ、いいね?」
「…………」
ゴーシュにとっては無情な言葉だ。
反論するかのようにラルゴの首を力任せに引き寄せ、頭を抑え込む。ゴーシュはキスを求めたが、突然の荒々しい行動に互いの唇は衝突した。
「…っ!なにがしたいんだ、ゴーシュ…」
ラルゴは痛みを帯びる唇を拭った。ゴーシュは返答に困り、瞳を揺らす。
「先生は意地悪です」
「そんなことないよ、ゴーシュの気持ちにこんなに応えてる。これ以上、何を望むって言うんだ…?」
声色は溜息混じりだ。
過度の要求は我儘だと指摘されたようで、ゴーシュは拗ねてみせ上体を起こし手摺りに寄り掛る。
「ぼくは先生の手の掛かる生徒でいたいんです。なんて言われても、必ずブレスレットを貰いますから。いけませんか…?」
十五歳の少年はしつけの行き届いた子猫ではない。儚く抱いた感情も剥き出しに、悪気もなく毒づく。
ゴーシュはラルゴを跳ねのけ、テーブルに放置されていたミルクティーを一気に飲み干した。
「ゴーシュ…」
ときよりゴーシュは狩りの名手としての面を露わにする。冷静的確に分析し、相手の弱みを突いてくるのも天性のものだ。やわらかな物腰に潜む刃の性質は、彼の芯の強さを示している。掲げた想いは容易く折れそうもない。
「先生はぼくが憧れてるだけだって、本気で思っているのですか?」
「君の年頃じゃ、よくあることだよ…」
ラルゴは頭を抱え隣で威勢のよくなった白猫を眺めた。
「子供扱いしないで下さい」
「子供だよ、君は一少年に過ぎない。ほら、新入生が来るんだろう?寮に帰りなさい」
「嫌です…!」
「――…わっ……」
ぐるりと反転し、天井が見えた。目を丸くした刹那、突き飛ばしたラルゴの上に、ゴーシュは馬乗りになる。
「…ゴ、ゴーシュ…!?」
見下ろされ、教師の面に焦りが浮かんだ。
「ぼくは止まらないって言ったのに、…解ってないのは先生ですよ。研修期間中先生が足りなかったって言ったじゃないですか。だから大人しくブレスレットを貰って帰ろうと思っていたのに…」
「お、落ちつけ…!」
ゴーシュはラルゴの腹部に乗り、ふんわりと結ばれたリボンを荒々しくほどく。
「ぼくのネクタイをほどいた後、何もする気がないのも…、――もう、うんざりだ。いつまでも子供をあやすようなキスをして満足してると思っているのですか?ぼくは先生を知りたいし、ぼくだって知って欲しい…。ブレスレットが欲しいだけじゃない、ぼくは自分の気持ちを理解したんです、はっきりと先生のことが好きだって…」
首元のシャツのボタンを剥ぎ取り、苛立ちを抑えられずラルゴの肩にしがみつく。
高鳴るゴーシュの半鐘は、縋り付かれたラルゴにも伝わっているが宥める気配はなかった。

貞操の危機を味わったことはあるが、年下の毛質のいい白猫のような少年に襲われたのは初めてだ。ラルゴはソファの上に身体を投げ出し傍観している。
(――で、ぼくを、どうしたいんだ……?)
ラルゴの深い溜め息に、肺が膨らみ萎む。人体の理を感じ、ゴーシュは抜け道も分からずただ抱きつくだけだった。身体の行き場もない、興奮する心音に羞恥も募る。
肌蹴た教師の胸元を眺めることすら出来ずにいるほど、ゴーシュは口の割に稚かった。
「…ゴーシュ…?」
胸の上でぴたりと身体を合わせ、微動だにしない少年の背中をするりと撫でてみる。ラルゴに触られただけで、ひくっと腰が震えた。少年は触れられるのを待っている。
不意に緊迫を逸らすかのように、窓の外を鳥が羽ばたいた。
と、同時にラルゴの思考も、二週間前を無意識に辿っていた。
研修期間は二週間に及んだ。研修に向かう前までのゴーシュは、キスで充分満足していた。
長いキスを終えた後は、頬を赤らめひどく潤んだ瞳で見つめられ何度も理性を奪われかけたが、可愛らしい少年を抱く気にはなれなかった。
大切で、大人が穢すことも憚られるほど美しく、また、あどけなくも感じていたからだ。
ことを急ぐようには思えない少年が、二週間でこんなにも変わるものかと、俄かに信じ難い思惑が頭を掲げた。

「――研修期間中に何か、あったんだね…」
断定的にラルゴは言った。
「話していいんだよ。ゴーシュの気持ちをすべて受け止める覚悟はある。じゃなきゃ、教師が生徒にキスなんて出来ないだろ?話してごらん…?」
「…………」
ゴーシュは固まったきりで動かない。
「場合によってはブレスレットを渡しても構わない、それで君の気が済むならね」
「先生…」
やわらかく諭され、ゴーシュは弱々しく顔を上げた。
「なんて顔をしているんだ、君に焦がれる下級生が泣くな」
弱り切った少年は今にも泣き崩れそうだ。
「…何でもないんです…。ぼくは先生の気持ちが、知りたかっただけで…」
「ゴーシュ…」
「もういいです、今日はブレスレットは諦めます…」
セピア色の瞳が深く鎮まる。
隠し立てした瞳だった。
ラルゴの言葉は少年の熱を冷ます切っ掛けとなり、ゴーシュは眼を擦りながら退いた。涙が零れている様子はない。俯いたままバツが悪そうに、ぼすんと音を立ててソファに腰を落とす。
自分の気持ちが落ち着くのを見計らい、ラルゴに外した眼鏡を渡し、静かに口を開いた。
「…研修期間中は、チーム編成で鎧虫を倒すことが多いんです…。デュエット編成は、後のディンゴとのチームワークを試されるようなものですよね」
「ああ、そうだね…」
「ぼくは幼馴染のアリア・リンクとチームを組まされて、一人でダイキリを倒す方がずっとマシだって思ったんです…」
「アリア…?」
「……はい……」
「研修期間中、アリア君と喧嘩でもしたのかい…?」
「ケンカの方が…、まだマシです。――――アリアは……っ…」
くっと口を結び、ゴーシュは想いを押し込め被りを振った。
ラルゴは言葉を待ったが、それきりゴーシュは口を閉ざし話さなかった。たとえ事情があっても幼馴染を悪く言いたくはなく、彼の命取りの正義感が止めさせた。

ゴーシュを察して頭をひと撫でし、ラルゴは再びキッチンに向かう。濯いだミルクパンに残りのミルクを注ぎ、コンロに火を点す。
「ホットミルクを飲んで、寮に帰りなさい。そうだな、一杯目よりうんと甘くしようか、……少年?」
軽く尋ねられ、ゴーシュはハッとして顔を上げた。優しく微笑むラルゴの顔が目に入り、ゴーシュも苦笑いをする。
「今度は砂糖はいりません」
「んー…そう?美味しいのにするからねぇ」
沸騰をきらい、火力を弱める。
「あっ、…やっぱり、少しだけ」
「ふふ、了解」
重々しい時間を振り切った澄んだ声に、ラルゴも先を追うのはやめた。
鼻歌混じりに煙草をくわえ、ミルクの湯気を待つ。
少なくともゴーシュに性欲まがいの行動を起こさせたのは、幼馴染のアリア。研修期間の揉め事は了然でゴーシュの心を掻き乱した、とも云える。
(アリア・リンクか…、どんな子だったかな…)
ラルゴの頭には金髪で髪が長い、短絡な容姿だけが記憶されていた。少年たちを眺めるのは目の保養だが、ゴーシュ・スエードに敵うものはいない。思い出そうにもアリア・リンクのデータは不足気味だった。

「先生、誰か来たみたいです」
「…あ、ああ、今行く。すまないゴーシュ、勝手に注いで飲んでいてくれるかな」
史料室のドアを三回ノックする音が聞こえ、ラルゴは慌てて火を止めた。すれ違いにゴーシュがキッチンに入り、沸かしたてのミルクをカップに注ぐ。
「君はここに居ていいからな、ぼくが戻るまで時間は平気?」
「味わって飲んでますよ、先生を想いながら」
口説きかねない言い草に、ラルゴは面映く眼鏡を直す。稚い白猫は両手でカップを抱え、馴染みのソファに座り直し、部屋を後にする教師を見送った。

このとき、予期せぬ来訪者がドアを隔てた先にいるとは、ゴーシュは気づいてはいなかった。

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