PLANET GOOS[1]
~ミルクティと白猫.1~

めぐる季節は時に幸福をもたらし、そして残酷である。
生徒達を受け入れ、送り出しラルゴ・ロイドがこの学園に在籍し数年が過ぎていた。
後の国家公務配達員、通称BEEを育てる全寮制ユウサリ学園、ここでの教師としての仕事は最後の年になる。
翌年から郵便館の館長となる辞令が届いたのは昨日だった。
正直、学園での教師生活は悪くない。
辛さ以上に甘い選別、少年たちに囲まれて過ごした時間は、愛好家の彼にとっては至福極まりなかったが、取り立て一人の少年との関わりが彼を離れ難い軟弱な気持ちにさせている。

ゴーシュ・スエード、十五歳。

ユウサリ学園の入試テストから、BEE育成のあらゆる試験に至るまで、すべての歴代記録を塗り替えた天才、テガミバチの申し子のような少年だ。
彼の魅力は文武両道だけではない。
柔らかな銀の髪、抜けるように白い肌、端正な容姿と清麗な声色の持ち主でもある。
ゴーシュ・スエードが高等部一年となり彼に憧れる下級生は多い。何人もの少年達が彼に告白したが、すり抜けられ相手にもされず涙を呑んだ。
孤高のゴーシュは友人が少なく学園内での話し相手は数人の教師のみで、その一人が社会科の教師ラルゴ・ロイド。
ラルゴとゴーシュとの関わりは、彼の入学時から始まっている。
当時、赴任したてのラルゴにとって彼の存在はセンセーションであり、思想の革命に思われた。幼い少年が目標を掲げ、研鑽されたBEEとしての芯の強い心を抱いていたからだ。
偶然にもラルゴはゴーシュのクラスの担任を四年間受け持ち、二人がうち溶けるまではそう時間は掛からなかった。
自身が何年もかけ積み上げた想いが、ゴーシュ・スエードという入学したての少年に宿っている、それだけでラルゴの興味を惹くには十分すぎた。

最も興味を示したのは、ゴーシュ・スエードが先だったのだが――――。


☆☆☆


「…今年も、何人泣かせる気なんだろうねぇ…」
ラルゴ・ロイドは校舎三階の執務室に訪れ、窓を開け一服しつつ校門を覗いた。まだ稚い下級生が、上級生に接触している様が見えている。
ユウサリ学園では年度ごとに生徒達それぞれが自発的に、BEEとなる教育を目的とした契約を結ぶシステムがある。
上級生から下級生に精霊琥珀が埋め込まれたブレスレットを渡し、受け取ったものは一年間特定の人物から特殊教育が受けられ、上級生は将来の連帯行動の一環を兼ねて、相棒(ディンゴ)との相性を見極める重要な予習期間である。――と、一応の名目はそんなところだが、実際は表だっていえたものではない関係になるのが実情だ。


「あーあ…、ゴーシュ。またあっさり振ちゃったんだな、少しは気持ちを分かってあげないと」
ラルゴの呟きは学園のエースには届かない。
校門の片隅で長い時間ゴーシュを待ち伏せ、告白した下級生を軽くあしらった。
泣き崩れ、すぐさまその場を後にする下級生に溜息を零し、ラルゴの観察に気づきゴーシュは顔を上げた。わずかに困惑が面に浮かんでいる。
「――先生、覗きはいけませんよ」
悪気のない爽やかな声に、ラルゴは肩をすくめ受け取る。
「別に覗いてたわけじゃないんだけど?たまたま目に入っただけなんだけどね」
「いつも先生にはポイントを抑えられてますから、後で、何を訊かれるか分かりませんね」
ゴーシュは皮肉気味に言った。
「ゴーシュ、そんなとこで立ち話は落ち着かないだろ。文句があるなら上がっておいで」
ラルゴの申し出にゴーシュは可憐な笑顔を浮かべる。
「ぼくはミルクティーが飲みたい気分なのですが、入れてもらえますか?先生」
「……ミルクティーねぇ……」
執務室にティーセットが置かれている訳がない。ラルゴはちらっと背後を流し見て、返事をした。
「お茶は別室でいいかな。とりあえずここで待ってるよ」
「喜んで伺いますよ」
「喜んで、ねぇ…」
ラルゴの抑揚のない声色とは裏腹に、ゴーシュは悪戯に微笑み中庭を駆けた。



執務室に息を切らし訪れたゴーシュを社会科史料室へと連れ立ちドアを開けると、真正面に張られた古めかしいアンバーグラウンドの地図が二人を迎えた。
ラルゴは慣れた様子で、さらに奥の専用の個室にゴーシュを招く。錆びついたドアノブに手をかけた矢先、ゴーシュが短く声を上げた。
「どうした?」
「あ、いえ、…お茶だけですよね?」
慎重にラルゴの顔を伺い、ゴーシュは身じろぐ。
「お茶に誘ったのはぼくじゃないんだけど。まぁ、いいよ、君はぼくを苛めるのが好きらしい」
「ぼくは喉が渇いていたんです。それに先生のミルクティは美味しいから、ずっと飲みたかっただけで…」
かすかにゴーシュの頬が朱に染まる。
「かわいいこというなぁ」
「何の話ですか?」
恥じらう少年を揶揄する視線に気づき、ゴーシュは分が悪く横を向いた。

ラルゴの個室は資料で雑然としているわりに、雰囲気がいい。
部屋の奥には小さめなモザイクタイルのキッチン、木目が燻されたチェストが置かれ、軽いティータイムが楽しめる。
壁面本棚には、専門書や著名な研究家の論文がファイリングされたバインダー、さらにアンティークのテーブル、窓辺にはこぢんまりとした休憩用のソファが配置されていた。
全体的にダークブラウンで統一されたこの部屋を、ゴーシュは好きだった。
ラルゴと親しくなってからは、当たり前にゴーシュが先にソファに座る。少年には居心地がいいらしくラルゴの留守にも潜り込み、時には昼寝をしている。

ラルゴは部屋に入るなりすぐさまキッチンで、購買で買い求めたミルクの栓を抜いた。
蓋を開ける軽い音に俊敏に反応するゴーシュは、純白の子猫のように可愛らしい。好物を前に、ピンと耳が尖って見えた。
「ゴーシュ、砂糖はどうする?」
「今日は多めがいいかな。甘いのが飲みたいので」
「下級生を泣かせたから、甘さで舌を誤魔化したいのかい?」
「誤魔化すなんて、そういうわけじゃ…」
はぐらかすようにテーブルの上の書籍を捲り、ラルゴをチラリと見た。
「――ああいうのは、迷惑っていうか……、よく解らなくて」
「特定の人物を教育するのも悪くないよ。ゆくゆくはディンゴの教育や、連帯行動にも役に立つんだから」
「…………」
ゴーシュは答えなかった。硬めなソファに腰を落とし、マフラーを剥ぎとりながらしゅんと拗ねた顔を晒す。
ラルゴは様子をうかがいながら、備え付けの小さなコンロでミルクパンにミルクを注ぎ火にかけた。ふつふつと沸騰を示したタイミングを見計らい、多めに茶葉を入れ湧き立たせる。ミルクを含んだまろやかな茶葉の香りが鼻をくすぐり、ゴーシュは期待に首を伸ばした。
「いい香り、先生のミルクティは久しぶりですね」
明るい声が上がった。
「君がここに来るのも久しぶりだと思うよ」
「そうですね。最近は研修が増えて、学園に来る機会も減りましたから…」
「ああ、確かに。研修から帰ってきたのは一昨日か。ブルー・パンプキンはどうだった?ぼくも君の勇姿を拝みたかったな」
「いつもと同じです……」
面を曇らせたゴーシュに、ラルゴは濃いめのミルクティを差し出す。
「おまたせ」
あたたかな湯気に痩身を囲まれ、ゴーシュはときめいた。
「あ、ありがとうございます。ぼく研修の間ずっと飲みたかったんです。喉にしみるような先生のミルクティ」
「なぁゴーシュ。――誰か、入れてもらえる奴でも見つけたらどうだ…?」
その言葉にゴーシュは瞳を沈めた。受け取ったミルクティーに、曇った顔が浮かぶ。
「またその話ですか…」
「これは教師として言ってるんだ、ディンゴはBEEには欠かせない存在だよ。一人での配達は危険を伴うからね」
「ぼくは一人でも平気です。そういう先生だってディンゴを持たなかったじゃないですか。それに…ディンゴは下級生が受け持つわけじゃないし、選別は卒業してからでも遅くないでしょう?特定の下級生を断定して、むやみに彼らに甘えられても困ります」
ゴーシュは冷淡に言い放ちながらも、ミルクティーをそっと口に含む。濃い目の苦みと甘さがじんわりと咥内に広がり、癒されたのか思わずほぅ、と息を零した。
「美味しい…。先生の入れるミルクティーは本当に美味しい…。甘さも丁度いいですね」
「少しは落ち着けたかな、ゴーシュ?」
「はい」
ラルゴはゴーシュの傍らに腰を落とし、美しい横顔を見つめている。
「先生は飲まないのですか?」
「ぼくはいいよ。君の喜ぶ顔が見られただけで満足だから」
「…あ、そんなに顔に出てます?」
ゴーシュは頬をさっと赤らめる。
「教室でこんな顔されたら、ぼくは授業がまったく手につかないかもねぇ。……可愛くて」
「――え!?」
ラルゴの切り替えに、ゴーシュは睫毛を瞬かせた。戸惑いを見せたゴーシュの頬に触れ、瞳を覗くとニヤつく顔が映っている。
「ぼくは君の前じゃ、ずいぶん残念な顔をしてるんだな」
「いつもと変わりませんが?」
「……そう?」
「はい」
ゴーシュの瞳に映る緩んだ面を眺め、ラルゴは自身に呆れ鼻で笑う。
「ラルゴ先生…?」
「……おかえり、ゴーシュ……」
「――……っ…」
ラルゴは耳元に唇を寄せ、甘く囁いた。低く擦れた声色に、反射的にゴーシュはこくんと頷く。
「す、すいません、今日はお茶を頂いたら、帰ります。寮生が来るので、行かないと…」
「新入生か?」
「はい…」
ティーカップをゴーシュの手から離し、ラルゴはテーブルに置いた。飲みかけのそれをゴーシュは眼で追い、ためらいを見せたが、そのまま暖かさの残る華奢な指を取り、手の甲に唇を押しあてられた。
「綺麗な手が傷だらけだ。今回の研修は少し過酷だったかな。君が鎧虫と闘い、心弾を撃ってる様は美しいんだろうけど…、あまり見たくない気もするな」
「生徒に言うセリフじゃありませんよ、先生…、――あっ…!」
ラルゴの唇が頬に落ち、ゴーシュは動揺し見返した。
「ここに来た真意は、尋ねたら教えてくれるの?」
「また、来ますから、今日はダメです」
「何がダメなのかな…、ゴーシュ・スエード…」
ラルゴの指先はゴーシュの首筋にある。
「本当に今日はミルクティーを飲んだだけで、帰るつもりだった…?」
するりと軽く撫で上げると、痩身が微弱に震えを見せた。
「――君はずるいよ、いつもいつもね」
少年の口実は容易く破られた。悪意を秘めた問いかけに、ゴーシュの暗褐色の瞳が竦む。
「…す、…少しだけなら、いいですよ…」
「少しってどれくらいか、わからないな。教えてもらわないと…」
ラルゴの囁きにゴーシュは観念し、彼の眼鏡を外した。肩に腕をまわし、首を引き寄せ自ら唇をふわりと重ね、琥珀の瞳を間近で見つめた。
「んー…、たった、この程度?」
教師は不満気だ。セミロングの髪を掻き上げ、ソファの背もたれに肘をつく。
「だって、このくらいにしておかないと、…ぼくも止まらなく…なりますから、許して下さい…」
「その言種は、ぼく次第とも受け取れるよ。許さないっていったらどうするのかな?」
「そんな…」
ゴーシュの懇願する甘い声音は逆効果だ。ラルゴはあくどい笑みを浮かべ、きつく結ばれた少年のネクタイに指をかけ解きにかかる。
「せ、先生、今日は本当に…」
「君がそう云うなら仕方ないけど。ただぼくは、久しぶりにあったゴーシュを、少しの間抱きしめたいだけなのに?あとでぼくの部屋に来られても色々と困るしね」
「…………」
隙を突く教師の言葉に、ゴーシュの心は揺さぶられる。
「そうだなぁ、言う通りに甘いひとときは次回のお預けにしよう。――ゴーシュ、ホントにいいね、それで…」
「……やっ…」
言葉とは裏腹に、ラルゴはネクタイをするりと解いた。咄嗟に撥ね退ける間もなく両手首をつかまれ、ソファに押し倒される。
「――先生……」
華奢な身体は抗えなかった。熱が灯ったゴーシュの瞳は、覆いかぶさるラルゴを甘く誘い見上げている。
「君がそんな顔をするって知ってるのは、ぼくの特権かな…。君はいけない子だよ、ゴーシュ…」
ゴーシュがあっと息を吸い上げた瞬間、唇は呆気なく奪われた。
「……っ……」
緩やかにラルゴは唇を重ね、ゴーシュのそれを開き掬い上げ舌を差し入れる。柔らかく塞ぎ、舌先を絡め啜ると湿った音が室内に響く。
たったそれだけで、少年の思考は霞が掛かりラルゴの動きに合わせ始めてしまう。
「…ん……っ……」
まどろむ意識にハッとして、ゴーシュはラルゴの肩をつかんだ。
「…っせん…せ…」
「なに…?」
「…いけませ……」
「悪いけど、それはぼくのセリフだね…」
反論した少年の咥内から媚薬となった舌先が抜かれ、主を失った熱は先を探す。
「…ぁ…や…」
焦らすように唇の輪郭だけを辿られ、愛撫される。点火されたそこが微弱に痺れ、感度が増してゆく。
「……ん……ぁ……」
唇を奪われた当人はもどかしくラルゴの粘膜を追った。蜜を帯びた舌先を絡め、再び咥内へと誘う。
少年にとっては数日間、待ち焦がれたキスだった。
「ほら…、言ったとおり、だ…」
「……んんっ……」
息継ぎに開いた唇を吸い上げられ、ゴーシュはラルゴの背中に片方だけ腕を回す。片手は握られたままだ。苦しさに耐えられずきつく掌を握り、血がにじみそうなほど赤くなる。
蕩ける粘膜の感触と、咥内に残ったミルクティーの香りに痩身の力が抜けてゆく。
「――――……っはぁ……」
ゴーシュの喘ぐ息継ぎに気づき、ラルゴは顔を引き上げた。

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