PLANET GOOS[3]
~新入生~

しばらくゴーシュはラルゴの部屋で大人しくしていた。
ミルクを飲みほし、手持ち無沙汰な白猫はテーブルの上に積み上げられたバインダーに手を伸ばしてみた。ぱらりと捲ると、地質学のレポートが目に留まった。ラルゴが描いたスケッチつきだ。
「ブルー・ノーツ・スケール…?」
ゴーシュの瞳が期待に輝く。地質学や、周辺エリアはまだまだ未知の領域、記憶の未開の地は興味を惹いた。過去最大の精霊琥珀の採掘場は耳にしたこともある。
レポートを捲り、ゴーシュはドキリとした。一枚の封筒が二つに折られ挟まれていた。あえて読まずとも差し出し人が目に入る。

『BEE‐HIVE』とBEEの紋章、そして、夜想道十三番地郵便館。

眼には留まったが、他人の郵便物を勝手に読む悪趣味はない。封筒を挟んだまま次のページを捲り、拍子に封筒下に抑え込まれていた一枚の便箋がひらりと落ちた。
「…あっ」
便箋は広がり落ち、無意識に文書が視界に入る。
文書を目にした途端、ゴーシュの時が止まった。
――国家公務員、異動通知書。
ラルゴにとっての栄転辞令だが、
「……嘘だ……」
少年の視界を塞ぐには十分過ぎた。

便箋を持つ指先が震え清麗な面は蒼白し、数行だけ書かれた辞令書を食い入り何度も何度も読み返した。
今は四の月、新年度が訪れるまでは半年以上あるが、ゴーシュは寿命を告げられたように震える。
読みたくて読んだわけではないが、恋する少年には残酷な文書だった。

ドアの向こうに気配を感じ、慌ただしくバインダーを閉じ、ゴーシュはティーカップごとキッチンに逃げた。
文書を読んでいた間、意識しなかった心音が鼓膜に張り付いている。内密書を勝手に読んだ、と解釈していいのか大切な話を伝えられずに裏切られた、と訝していいものか判別も出来ないほど動揺は酷い。
「―――……っ!」
焦るあまり抱えたティーカップは手から滑り落ち、古めかしい床を叩き粉々に砕け散った。
「……」
苦々しい顔で、割れたカップを拾うしか出来なかった。
この強い動揺は、アリア・リンクとの研修期間中にも抱いたものだった。
想定外の小さな事件に弱い自分は明確となったが、他人に晒すものではない。
軋んだドアの音が聞こえたが、ゴーシュは素知らぬふりをした。

「ゴーシュ、君に客人だ。ゴーシュ?」
ラルゴに呼ばれ、返答に迷いながらも落ち着けと何度も命じ、小さな欠片を重苦しく集める。
「…………あ、はい……」
「ゴーシュ!?」
「――ここです……」
キッチンの隅で身体を丸めた姿はラルゴには見えず、呼び掛けにゆるりと立ちあがった姿に驚いて見せた。
ラルゴの背後には、見覚えのない少年がいた。
「ぼくに…?」
割れものをシンクに落とし、手を洗いながら問いかける。
「ほら、例の新入生、君を探してここに辿り着いたらしい。悪いことは出来ないな、ゴーシュ?」
「ぼくは悪い生徒ですか?先生…」
ゴーシュは嫌味を混ぜた。
「んー…、そんなカッコは、どう見ても悪い子だよねぇ」
「……っ!」
ラルゴの視線にゴーシュはハッとして胸元を見た。いまさら遅いが、解かれたネクタイを慌てて結びなおす。
少年がどういう経緯を辿り史料室に訪れたのか、ゴーシュは聞きたくもなかった。ばらした人物は察しがついている。
ラルゴに揶揄されるゆわれもない。自主的に訪れ、求めた教師との時間は栄転を知ったことでさらに貴重となった。
一分、一秒も他人の関わりで時間をつぶしたくはない、と熱い思いを曝け出してしまいたかった。
だが、今はドライな自分が必要だ。

「初めまして、ゴーシュ・スエードです。ユウサリには今日着いたのですか?」
ゴーシュは冷静かつ爽やかな笑顔で、片手を差し出し握手を求めた。
「――ジギー・ペッパー、ヨダカのキリエ出身です」
少年は低い声で答えた。頬に大きな傷痕があり、にこりともしないクールな雰囲気の少年だ。
「ヨダカは遠いから疲れたでしょう。すぐ寮に案内します」
ジギー・ペッパーと名乗った少年はゴーシュに握手を返さず、手を眺め指先に触れてきた。
「手、血が出てる。切ったのか…?」
「……?」
指摘に自身の手を観察したが血痕の付着はあるものの、傷口は分からなかった。
「さっき、切ったのかな…。カップを落としたから…」
ゴーシュは不思議そうに手を眺める。
「たぶん、ここ…」
「……っ…!」
ぐいっと手首を取られ、ゴーシュは一歩ジギーによろめいた。
「小指の付け根が切れている。先生、絆創膏」
ジギーは新入生らしからぬ態度で、ラルゴに尋ねる。
ほんの小さな傷だった。皮膚を引っ張り上げると、血液がぷくりと丸く結合し血小板を作り出す。
「彼に良く言ってくれよ、ジギーくん。彼は容姿の割に、傷は全く気にしないタイプなんだ。舐めていたら治るとでも思ってるんだよ、…ほい、絆創膏」
ラルゴに渡されジギーは慣れた様子で、傷口に絆創膏を巻いた。
「ガキの扱いには慣れてるんで。部屋は貴方と一緒らしい、寮長、ゴーシュ・スエード」
「そうですか」
軽くジギーに答えたものの、ゴーシュはラルゴの顔色を何気に伺った。
「ん?――なに?ぼくに何か言いたいのかな…?」
「いえ…」
首位独走のゴーシュは特権を許され、二人部屋でありながら個室として利用出来ていた。彼と同室になるということは、保たれた均衡が破られたと同じ。
ジギー・ペッパーはゴーシュに次ぐ好成績で入学を果たし、同室の座を勝ち取った。四年間の個室に初めてのルームメイトだ、不安にならない訳がない。
男子生徒と同室になるというのに、素知らぬふりをするラルゴの態度も信じられなかった。
(先生は本気で、ぼくが誰かと一緒になってほしいんだろうか…。大切なこともぼくに話さないし、郵便館に行ってしまったら、ぼくは先生の過去になるのか…)
表には出さないが、思考は感傷に傾き始めていた。

「アルビス種?なんだな」
「――え?……はい」
ジギーは物珍しそうに、ゴーシュの銀糸を眺める。
目を細めしげしげと見つめられ、ゴーシュは瞼を瞬かせ教師に助けを求めた。
「珍しいかい?アルビス種は?」
苦々しいゴーシュの面を察し、ラルゴがジギーの気を逸らす。
「はい、キリエではお目にかかれません」
「彼はその中でも、ハイクラスのアルビス種、鑑賞に値するよ」
「ああ、どうりで…」
ジギーの瞳には意志の強さを表す芯がある。何気に流し見られただけで、ゴーシュは胸を押さえ肩をすくめた。強い眼差しに、心まで覗かれてしまいそうだ。
「あ、あの、ぼくのことはいいですから…!」
ゴーシュはジギーに見透かされそうで、どうにも落ち着かななくなり慌ててマフラーを巻く。
「行こう、ジギー・ペッパー、今からだと夕食に間に合います」
「……じゃぁ、先生失礼します」
ジギーはラルゴに会釈して、先に退室した。


「――先生…」
「ん…?」
史料室のドアに向かったルームメイトを確認して、ゴーシュは隙をつきラルゴの唇を勢い任せに奪った。
(ゴーシュ…!)
ラルゴは眼を丸くしたが、声には出さなかった。
「お話があるのでまた伺います」
そのままゴーシュは渾身の力を込め、ぎゅうっとしがみつく。ジギーに見られても構わなかった。むしろ、見せつける行動とも取れる。
「次ははぐらかさないで下さい。ぼくは本気ですよ、先生…」
「ありがとう、ぼくもきみを愛してるよ」
口先の囁きは、聞きあきている。唇に挟まれた煙草をむしり取り、床に投げ捨て踏みつけた。
「怖いなぁ、嘘じゃないのに」
「また後で」
「うん…」
足元の粉々に粉砕された煙草が哀れに見えた。
ジギーに駆け寄り先導するゴーシュの後ろ姿を眺め、溜息混じりに微笑む。白猫にホットミルクを飲ませたところで、機嫌は良くならないな、とラルゴは思った。
「ルームメイトのジギーくん、…か。彼ならゴーシュに対しての特異な先入観はないだろうけど、いつまで続くか…」
今までゴーシュの隣に、黒い精霊琥珀のブレスレットをはめた少年はいない。
パートナーを選ぶなら早い方がいい、ゴーシュのためにも。
妹のために生涯を注ぎ、後のBEEを選んだ彼の愛し方は危険を伴う。
自分を零地点とし、愛した相手には全てを懸ける。それを無意識に行い自らを追い立て、心の消耗は人知を超えるほどだろう。
いっそ、ゴーシュのために生きられたら、楽だった。
卒業はゴーシュにとって通過の儀式に過ぎない。
このままの関係を続け、仮にBEEとなったゴーシュを、郵便館の館長が繋ぎ止められはしないのだ。
一線を超えたら禁忌を犯す、それほど身も心も清らかな少年に心酔するのは目に見えている。
人の目に晒したくない、と欲望に呑まれ掛けることもしばしば、自ら地方に送り出したらラルゴは気が狂ってしまいそうだった。
「あのこと…、伝えた方がいいって、判ってはいるんだけど…、難しい問題だな」
ゴーシュのプライドは努力の誇り、ラルゴに向いている想いもそれと似ている。
首席卒業を意識した彼だ、目標を成し遂げたらお払い箱だろう、とラルゴは短絡に考えているが、スイッチしたゴーシュが別れを受け入れるとも思えない。
ラルゴが想う以上に少年の心は素直で優しさに溢れたものだ。関係は同道巡りをし、二年、ゴーシュは痺れを切らし始め、たたみ掛ける異動の辞令に天命を呪う。

(いつまでもこのままではいられないんだよ。――――ゴーシュ……)
またひとつ、ラルゴの頭痛の種が増した。


☆☆☆


学生寮は校舎にほど近い場所にある。
ゴーシュが新入生を連れ寮に訪れたときには、夕食の準備が始まっていた。ワゴンが忙しなく各部屋を行き交い、呆然とその光景を前に立ち尽くすジギーはメイドには邪魔者だ。
「いつもこんなか?」
「ん?ああ、食事は時間に合わせて運んでくれるのですよ。規則正しい生活をするためにね」
「規則正しい?」
ジギーは呆れながら言った。貧困者の多いヨダカ出身の彼には、贅沢すぎる光景だ。
「多少の誤差はあるにしろ、学食のように複数の誰かと話しながら、だらだらしなくて済むじゃないですか。それにこの近くにはレストランもない。食べ損ねたら厨房に行っても締め出されます。あ、どうぞ、ジギー・ペッパー、ここがぼく達の部屋ですよ」
ゴーシュに誘導され分厚いドアを引き、ジギーが先に入室する。二人部屋にしては程よい広さの部屋だった。
正面に大きめの窓が二つあり、左右の壁面にベッドと机が並んでいる。入口のすぐ横にスマートなクローゼット、中央には小さめのテーブルがあった。右側にドアが二枚並ぶのは水回りだ。
「消灯時間の前に、このカーテンで部屋を仕切ります」
窓辺から一気に入口までカーテンを引き、ゴーシュは、「…ね?」と微笑む。
「ベッドは左側でいいですか?長い間、右のベッドだけを利用していたので癖がついたみたいで、…勝手を言ってすいません」
「分かった」
ジギーは気遣うゴーシュに礼を云い、届いた荷物を解き始めた。
簡単な規約説明を受けた後、タイミングよくドアをノックされ、食事が運ばれる。中央のテーブルに二枚、トレイに乗った夕食が置かれた。
「先に食べましょう、…えっと、――――ジギー…?」
と、呼んでゴーシュの頬が微かに赤らむ。
四年間個室で過ごした間は、食事ももちろん一人。ルームメイトと夕食をともにする嬉しさに、ゴーシュははにかみながらスプーンを手にした。




「……」
「……」
向かい合う二人は、よそよそしく夕食を口に運ぶ。人見知りのゴーシュを前に、ジギーは寡黙に食べ続け、数分で無言の食事は終わりを告げた。
ジギーは頬杖をついてルームメイトを見つめたかとおもうと、鼻先で思い出し笑いをした。
「何です?」
ゴーシュはきょとんとする。
「鑑賞物だって、先生が」
「真に受けないで下さい。ぼくには興味がないことですから」
つんとした口調の中にどこか可愛らしさがあり、ジギーは気を許し口の端を引き上げた。
「あんたみたいな綺麗な人と、食事をしたのは初めてだ」
「……っ!」
ジギーのやさぐれ混じりの声色にゴーシュの脳髄は粟立ち、飲みかけのスープを零し、慌てて口元を拭った。
「それに、食べ方もいい」
テーブルマナーは育ちの良さを表していた。わずかな仕種にそれが見え隠れする。
「ですから、そういうのは…!」
「ん…?」
「……いえ…」
妙なところを指摘され、返す言葉もない。
「俺はなんて呼んだらいい?寮長」
「…ゴーシュでいいですよ。みんな、そう呼んでます」
「ゴーシュ…?」
「…はい」
そわそわし俯き気味に答えるゴーシュが可愛らしく、新入生は気に入ったらしい。ゴーシュの食事が終わるまで眺め続け、代償にトレイはジギーが片付けた。
「お茶が終わったら、十九刻から二十一刻が自習時間です。ジギーにはまだ課題がありませんから、自由にしていてもいいですよ。よかったら、シャワーを先に済ませても」
「じゃぁ、そうさせてもらう」
回収のトレイと引き換えに、大きめなキルティングカバーに包まれたティーポットを受け取り、ジギーは腰かけた。
向かい合うとまた穴が開くほど顔を見られそうで、ゴーシュはティーカップを取りにそそくさと席を立つ。
ティーカップはゴーシュのクローゼットに二セット準備されていたが、
「入室ん時に自分用のティーカップ持って来いって言われていたんだが、…手に持ってるそれ、俺が使っていいものなのか?」
と、準備の良さにジギーの鋭い指摘が飛んだ。
ゴーシュは恐るおそる振り返り、緊張に張りつめた面を晒す。
「先生の、なんだろ」
何の云い訳もしないうちに、彼はゴーシュの先を言った。肩をすくませ、白猫はこくっと頷き水場に向かう。
「見られてますから、ジギーには…。隠し立てするつもりはありません」
未使用のティーカップを洗いながらゴーシュは言った。室内の水場は兼用され、蛇口の熱めの湯でカップを当り前に温め、テーブルに戻りジギーの前にそっと置いた。
「…先生のこと…尊敬してるんです。入学から卒業試験まで、先生は首席だった…。伝説のBEEになってもいいような人物なのですよ…」
ラルゴ・ロイドを思い返すだけで、頬は微かにと赤らみ口調もたどたどしくなる。関係を聞かずとも、それとなく読めるが。
「ゴーシュが興味あるのは、成績なのか?」
「……えっ…?」
ジギーに尋ねられ、ゴーシュの身体は跳ね上がる。
「いや、出来のいいヤツが単に好きなのかって」
「そんなことはないですよ。ただ、ラルゴ・ロイド先生みたいにぼくもなりたくて」
「自分と重ねるのは良くない。ゴーシュはゴーシュ、違うのか?」
「――それは成績で惹かれたって言いたいのですか」
「そう聞こえる」
咄嗟に口を開き、荒げて弁解しようと思ったが、ゴーシュの理性が止めた。ぐっと唇を噛みティーカップを眺め、冷静さを取り戻し薄く口を開いた。
「……最初はそうだったのかもしれません。でも、先生のことばかり考えるようになって、授業も手につかなくなってしまって。…思い切って告白したら、ざわついた心が落ち着いたんです。ぼくは、先生が好きなんだって、その時自覚しました…」
ゴーシュは後ずさりたい思いを堪え、ジギーに伝えた。真っ赤になり俯き、ズボンの生地をくしゃっと握る。
「大したものだ、寮長。俺に話す度胸があるなんて」
ジギーは見直した。
「先生のことが本気で好きなんだな。カップを用意して待つくらいだ、この部屋に来たこともあるんだろ?」
問いかけに、ゴーシュは首を横に振る。
「一度も?」
「…はい…」
「付き合ってるように見えたが、…さっき、キスしてたが」
「……」
俯きがちにゴーシュはこくりと頷く。
「ゴーシュの片思い、なのか…?」
「――っ」
ゴーシュの肩が言葉にびくっと反応する。ジギーに指摘されるまでもなく、これも二年間悩ませていた事実。ラルゴから上辺の言葉は腐るほど聞かされているが、どれも確信を得たものではなくゴーシュを不安にさせていた。
「もしくは先生の遊びか?」
「……な…っ!」
勢いで立ち上がり、カップをひっくり返す。
「…あ…」
みるみるお茶はテーブルに広がり床に零れた。
ジギーは動揺させるつもりはなかった。自分の荷物からタオルを取り出し無言で床を拭く。ゴーシュは滴るお茶を眺めてはいるが、視界には入らず呆然と立ち尽くすしかなかった。
「……幼馴染にも言われました…。ジギーと同じことを…」
か細い呟きにジギーは顔を上げた。
「誰が見てもそうなんですね…。先生とぼくの関係は…」
「他人がどう見るかは関係ないだろ、二人の問題なんだし」
「――ふたり…、ですか……」
力が抜けゴーシュは腰を落とした。ぐらりと椅子が傾き身体が零れかけ、咄嗟にジギーが支える。
「しっかりしろ、寮長」
「はい、平気です…」
平気じゃないだろ、とジギーは心で言った。
ゴーシュのうわさは入学前から聞いていた。
ぶれずに心弾を打ち、百発百中の学園のエースは強面かと想像していたが、眼を疑うほど美しいアルビス種、可憐で華奢、そして恋に弱いとは。
「……入れ直そう」
ぼんやりと落ち込んだゴーシュの肩を励ますように叩き、ジギーは水場に向かった。

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