アンバーグラウンドの闇夜に、明星が昇る。
東の星座が朝を伝えていた。
ゴーシュが部屋に戻ったのは翌日の早朝、四刻を回っていた。戻ったとはいえ、本人が歩ける筈もなく、ラルゴによって寮生の寝衣に着替えさせられ毛布に包まれていたのだが。
蜜浴の後、ゴーシュの全身を本人の了解を得る間もなく荒々しく洗い、寝かし付けたのが十二刻。その後、ラルゴもシャワーに入り、ベッドに潜り込んで翌日の一刻近く。セミダブルの傍らで、可愛らしい寝顔を見飽きることなく眺め、結局眠れずにさらに一刻。
片時も離れようとしないゴーシュを不憫に思ったが、教師の宿舎から登校させるわけにも行かず、ラルゴは寮へ送り届ける決意をした。
ラルゴ・ロイドは忍び足で少年を掬いあげたまま、部屋を確認しトンと軽くドアをノックしたが、ゴーシュのルームメイトの返答はない。
「……?」
ドアノブを引いただけで容易くラルゴは侵入出来た。
(鍵が開いてる…?いや、寮にそもそも鍵はなかったか…)
ぼんやりと曖昧な記憶を照合しつつ部屋に踏み入る。
左に視線を流すとルームメイトのベッドが見えた。規則正しく寝息を立て、熟睡している。
(今夜は無理をさせたね、ゴーシュ…)
ラルゴは苦笑し、腕の中で眠る少年の額に軽いキスをした。
「ん―…、けっこう辛いものだな…」
全てを手に入れてしまうと、片時の別れも辛くなると解っていた筈だった。どこかで軽く受け止めていた自分がいたと気づかされ、ラルゴは肩をすくめる。
(「――離れたくない…」か。そうだな、――ぼくもゴーシュと離れたくないよ)
ゴーシュが素直に口にしたものが焼きついている。想いはラルゴも同じだ。
けれど、郵便館行きが回避された訳ではない。ただ今は、離れ難い少年を精一杯抱き締めてやることしか出来ない。
(この部屋に返したくないのは山々だよ。一日中愛し合いたい気持ちは、きみと同じなんだから……)
主の待つやわらかなベッドにそっと仰向けに横たえ、ラルゴは膝をつきゴーシュの寝顔を覗いた。頬に掛る銀糸を梳き、滑らかなそこに唇を落とす。
(目覚めたら驚くかな。少しだけ驚く顔が見たかったね)
慈愛の眼差しを向け少年の華奢な手首を取り、自身の上着のポケットを探る。
暗室にきらりと星が反射した。
(これはぼくからのプレゼントだ)
ラルゴは取り出した銀のリングを、ゴーシュの手首にするりとくぐらせた。
「――ゴーシュ…」
ゴーシュの持ち合わせと同様に黒く、だが漆黒に近いブラックダイヤモンドのような琥珀を埋め込んだブレスレットが闇夜に輝いた。
少年が欲した証は、ラルゴ・ロイドの所有物となった証でもある。もっともシルバーブレスは数年前からこの学園では使用されていない。遵ってゴーシュの契約者、贈り主は卒業生から模索される。
ゴーシュ・スエードの手首にブレスレットが装着され、相手が露見したら騒ぎになるのは歴然だろう。
(――責任は取るよ。君もその覚悟があったからね…)
惹かれる思いを押し込め、頭をひと撫でしラルゴは立ち上がった。後二刻も過ぎたら、慌ただしい生活が眼を覚ます。
寝不足に悩まされそうだ、と何気に首を落とすと背後に気配を感じた。
つっと視線を上げると、少年が無表情でラルゴを凝視していた。
「…きみは…?」
少年は裸足だった。
寝衣のまま、長い髪を下ろし金糸が波打っている。
「座席表がないと、顔と名前が一致しませんか?…憶えていないんですね、先生」
意思の強い、凛とした声色。容姿は断定的には憶えていなかったが、この声には聞き覚えがあった。
過去、選択科目授業で質問攻めにされた生徒。
「…アリア・リンクくん…?」
「ええ、ラルゴ・ロイド先生」
ゴーシュ・スエードの幼馴染、アリア・リンク。突如現れた少年は、冷たい眼差しで冷やかなオーラを放っていた。
「ゴーシュと朝帰り出来るなんて、いい御身分ですね」
アリアは声を潜めず嫌味を混ぜ、ラルゴに叩きつけてきた。
「ここで話すと厄介だ。言いたいことがあるなら、場所を変えようじゃないか」
「勘違いしないで下さい。あなたに話すことなんて、…なにもない」
ラルゴを横切り、アリアはゴーシュのベッドの傍らに腰を落とす。
「消灯時間に抜け出す彼を見てしまって、少し心配だったんで…。ぼくは、帰りが遅いゴーシュを待っていただけですから」
愛おしく眺める眼差しは、到底単なる幼馴染の視線ではなかった。
「アリアくん…」
ラルゴが口を開いた刹那、少年は鋭い睨みを利かせる。
「先生とは話す気はありませんよ。どう詮索されても構いませんが」
「…そう?」
気性の激しい少年だった。対照的にゴーシュに向ける眼差しは極上の優しさを含んでいる。ゴーシュは彼の熱い視線に全く気付いていなかったのか、と思うと、ラルゴはアリアが不憫に思えた。
「徹夜は辛いよ?きみも部屋に戻りなさい。ぼくも帰るとするからさ」
「平気です。試験前の徹夜はザラですよ。明日、いえ今日か…、選択授業がありますから、遅刻しないで下さいね、先生」
「そうだねぇ、だから、帰ろう?ぼくたちはこの部屋の住人じゃないんだ。彼らを起こしてしまっても迷惑だし…」
あくびをしつつ退室するラルゴを一瞥し、アリアは名残惜しげにゴーシュを眺め、促す教師の後に続く。
アリア・リンクに尋ねたいことはあったが、時の順序が逆転するわけにはいかない。
だが、ラルゴはひとつの答えを聞けたなら、すべてが符合する気がした。
「アリアくん、…きみの部屋は?」
「上です」
「だから偶然、ゴーシュを見ちゃったって訳か…」
「ええ。おっしゃる通り、偶然、ですよ」
アリアの部屋は、寮の二階にある。裸足で訪れたのは、階段の足音を気にしたものらしい。
「じゃぁ、失礼します、先生…」
少年は視線を交わさず、背を向けその場を後にした。
アリアはゴーシュと同じく華奢な少年だった。
肉質を感じさせないか細い肩、背はゴーシュよりもやや低いが、それは背後から感じ取れるもので、正面からでは到底読み取れない気位の高さが彼を過大させていた。
「ねぇ」
眼鏡のセンターを直し、訝しく鋭さを秘めてラルゴはアリアを呼び止めた。
「…嗾けたのは、きみ?」
「…………」
「聞こえなかったかな、嗾けたのはきみだろ?」
ドアを閉め、再度問い掛けた。
「――けしかけた?」
アリアはうすら笑いを浮かべ振り返る。
「ああ、違う?」
「…何のことか、ぼくには…」
「ゴーシュの友人としてどうなんだい?自分の気持ちには正直でいた方がいいと思うんだけど」
ラルゴの言葉にアリアは沈んだ笑みを返す。
「……そのまま先生にお返ししますよ。あなたはゴーシュを幸せに出来るんですか?」
「それは教師のぼくに訊いてるのかな」
「――あなたにですよ。ラルゴ・ロイドさん……」
「……プライベートに、黙秘権はある?」
「…ふ、――虫唾が走るほど嫌な大人だ……」
「きみももう少し可愛くなったらどうなの」
「残念ながら先生とは生きている世界が違うもので、関わる気はありませんから」
「……そ。でも、きみにこれだけはいえるな」
口調は穏やかだが、ラルゴの眼は冷やかなままだ。
「……?」
「きみにゴーシュを渡すつもりはないよ。きみは危険な少年みたいだから。――これからはぼくが護り抜くから、ご心配なく。命に代えてもね」
「命に代えても……?」
「うん、悪いけど、ぼくも本気だからさ」
「…………」
幼馴染の反論はなかった。
軽く会釈をし、アリアは自室に向かったが表情は見えなかった。
廊下に差し込む外灯が、ふっと途切れ少年に翳を落とす。秘めた想いに蓋をするように、少年が霞んでゆく。
「…ったく、素直じゃないなぁ…」
気の抜けた溜息を吐き、ラルゴはアリア・リンクを見送った。
ゴーシュ・スエードほどの美しい少年が無傷でいられたのは、蔭ながらの工作があったのだろう。彼の功績を称えたい気分にもなるが、惑わせたのもアリアだ。
(ゴーシュに本気なんだな。――と、いうよりもあの子は中立のキューピットか…?)
純潔を穢したラルゴが云えた義理ではないが、綱渡りの危うい関係に陥ったのも確かだった。
「さぁて、ぼくも少しは眠るかな…」
ラルゴは執拗に追うのをやめ、煙草を銜えた
。
ドアの向こうに眠るゴーシュに想いを馳せ、寮を後にした。
部屋から足音が遠退き、ルームメイトは掛布をはいだ。
ジギー・ペッパーも徹夜に付き合った一人。自身の言葉が引き金となりゴーシュに行動させた、と実しやかに責任を感じ寝るに寝られなかった。
「――寮長」
ジギーは部屋を仕切るカーテンを開き、深く眠りに落ちているゴーシュを覗いた。
「…本気で、先生のところへ行くなんて…」
ゴーシュは疲れ切った面をしていたが、かすかに幸せそうに微笑んで見えた。
成就したのだ、と綺麗な声で話す様子が目に浮かぶ。
「そんな話…あんたの口から、聞きたくないな」
ジギーは心が焼ける切なさを感じた。考えただけで嫉妬にも似た痛みに気づき、ハッとする。
「…嘘だろ…」
ゴーシュと出会った瞬間から、目が離せなくなっていたのではないか、と記憶を遡ってみる。
可愛らしい仕種や容姿も魅力的だが、初対面のジギーに胸の内を話した少年に強く惹かれるものがあった。
心に棲みつかせるには、まだ早すぎると気持ちを否定するしかない。
ゴーシュには、恋人と呼べる存在が出来てしまったのだ。知り合ったその日に恋に落ち、失恋した気分だった。
時は五刻に近づき、外灯がユウサリの夜空を緩やかに照らし出す。
窓辺から差し込む明かりは時を知らせ、漆黒から抜け出し僅かにライトアップされてゆく。
ヨダカでは光の調整すら知りえない、闇夜に覆われていた。聖職者が統治する階級は呪わしく、彼を突き動かす原動力でもあった。
外に目を向ける間もない日々に追われ、行き着いた先で光と闇夜の心を浄化する少年と出会った。
「ゴーシュ・スエード…」
カーテンの隙間から朝を告げる外灯が一筋差し、朧な灯りがゴーシュの頬を照らす。
「…朝にはまだ早いな」
ジギーはゴーシュを気遣い、やわらかな光をぴたりと隙間なく塞いだ。
特定の人物に心を動かしたのはジギー・ペッパーは初めてだった。
言われなくても教師との密会に疲れ切っているのは分かっている。おそらく、今日は起き上がれないことも。
寝顔を眺めているだけで、ジギーの胸は高鳴り出す。
ゴーシュの寝顔は少年期の晩春、長く艶やかな睫毛、あどけなさを残す薔薇色の頬、小さく薄い唇、漆黒に浮かぶ銀糸、そのすべてが今や教師のものだ。
やがて少年期特有の無防備な色香を放つ時期が訪れる。
ジギー・ペッパーが未来を見通せるわけではないが、ルームメイトの並外れた美しさは日を追うごとに色濃くなると予測できる。
ゴーシュの根底に眠る可愛らしい性質に惹きつけられ、容姿に侵食されるのは時間の問題ともいえる。
本人の口からラルゴに焦がれた想いを聞かされていただけに、歯痒さも生まれていた。
彼はまだ、クラスメイトでも友人でもない。
ゴーシュにとっては単に好成績で偶然押し込まれたルームメイトに過ぎないのだ。あと半日早く学園に辿りついていたなら、関わり方は違ったかもしれない、とジギーは思った。
寝がえりをうつゴーシュの掛布から、不意に左腕が覗いた。
ジギーはベッドの傍らに膝を付き、ゴーシュの手首に触れてみた。
「――ブレスレット…?」
ジギー・ペッパーも入学と同時に学園から贈呈されたブレスレット、彼の琥珀は深い夜の海色だ。
下級生と契約を交わす気はさらさらないが、ゴーシュの手首で主張するブレスレットに切なさを感じる。
「俺が渡したなら、困らせてしまうんだろうな」
華奢な手首を取り、形のいい手に軽く触れてみた。
少年は深く眠りに落ち、多少のことで目覚めそうもないほど充足の夢に沈んでいる。
「…ん…」
掌に指を這わすと握り返す反応があり、ジギーの心に微かな欲望が開花した。
すでに本人の意思に関係なく、心は強くゴーシュに向かっている。否定しようにも、待ち詫びたルームメイトが教師に抱きかかえられ戻った姿に、ジギーは微動も出来なかったのだ。
「――おやすみ…、ゴーシュ…」
ジギーは掛布をかけ、ルームメイトに恋をするなど有ってはならない、と暗示をかけた。
現時点では引き返せると思っているが、時は刻み、所詮帰れる時間など存在しない。
津波のような激情が、ゴーシュに潜んでいるとは彼は知り得なかったし、時間が足りず、自身の想いも整理できないほど強く惹きつけられているとは当人は認めたくはなかった。
ジギーは肩を落とし、ちらりとゴーシュの面を眺め、自身のベッドに戻った。
恋と認めてしまったら、ルームメイトではいられなくなる所か、罪人になる気分だった。
朝を告げる教会の鐘が鳴るまで、彼は清算の眠りについた。
ジギー・ペッパーの嫉妬も、アリア・リンクの想いもゴーシュは皆目せず、今はただ眠るだけだ。
目を覚ましたあとの日常の変動は、ゴーシュを戸惑わせることとなるだろう。
ラルゴ・ロイドとの恋は暁のない、藍色の空。
月のない世界に、夜道を照らす灯りはない。
戯れの夜空は少年達の棲み家に夜露を落とし、水滴に想いの欠片の星を反射させていた――。
PLANET GOOS《終》
初稿 2010年5月
加筆修正 2012年1月
おつかれさまでした。
修正するにあたり、原作で館長(元)がラルゴ・バロールさんと名乗ってしまったので、本を発行した当初は『ロイド』の方で進行していたんですが、ファーストネームに変更しました。
このお話、PLANET GOOSは続きがあります。
館長が学園からいなくなってからのゴーシュ君とジギーさん、そして新入生として入ってくるラグ(やっぱり出てくる/笑)その辺りまでは未だ脳内補完です。
書き始めた当初、「なんか、この話長そう…」というぼんやりとしたプロットがあったんですがね。
本一冊分書きあげて「あ~…、ホントに長そうだ~」と気が遠くなったという((+_+))
書けるかな、どうかな?
いや~、しかし、エロシーン、前戯が長い、長いっすね~(笑)
館長×ゴーシュはなんというか、濃厚なイメージが拭えないので湿度高く書きたいんですよねぇ。
受のゴーシュ君も攻のゴーシュ君も好きなんですが、それぞれのお話で区切っているので書いていても違和感がありませんでした。
受ゴーシュ君は色っぽく『少年愛』臭がするのが好きです。
つかね、存在が色っぽいんだよ!!ゴーシュ!!
館長×ゴーシュってテガミバチカプの中でもなかなかに棘道なので寂しい限り。
過去公式全般、同じ場面のシーンに巡り合う率0.1%くらいしかありませんでした。
自分でもよくこのカプにハマったな…とたまに思います(T_T)
でもでも二人のシーンはいくらでも妄想できます~///
ゴーシュ君が現役時代のハチノスですから♪
愛を育むならところ選ばずな感じがよいですね。
館長室も仮眠室も執務室も書庫も、もしかしたら館長しか知らない開かずの間があるかもしれないじゃないか~!!!(爆)
妄想カプに近いかもしれませんが、ゴーシュ君の十代は館長とともにあるのです!!!
これから二人のシーンが原作であるかも♪と期待してます\(^o^)/
(ノワちゃん的には、ぶち込まれた記憶に館長はいるけど「初めまして」って感じでしょうね…)
ではではご拝読ありがとうございました<(_ _)>
2012年1月/西園アキ